sweep MY FOG

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  sweep MY FOG  

 思考をぼんやりと包み込んでいた霧が一層酷くなり、頭蓋の内側がじりじりと痛む。脳の奥を焼く焦燥感は強い眩暈となり、血が滴る工房の床を間断なく波打たせている。
 やはりあの程度の魂では足りなかったのだ。もう少し連れ去ってくるべきだったか。
 男は片手で頭をおさえながら、濁る視界にうつる青年の背中をじっと見据えた。何の知識もないままに男と契約し、その主君となった青年は、何を思い何を求めたからこの戦いに選ばれたのか。そして、あの万事を叶えうる釜に何を願うのか。ふと浮んだ疑問はすぐに霧の中に飲まれていったが、別段気に留めることではないだろう。
 無念のままにその生涯を終えた後、たった一つの願いだけを抱いたまま魂の輪廻から外れ、数百年の歳月を経て願望機に導かれた男にとって、目の前の青年はこの世界に降り立つための只の拠り代であり、同時にこの世界に留まるための単なる結び目でしかない。だから、これといった感情を抱くでもなく、寧ろ男にとっての青年はどうでもいい些事のひとつに過ぎないのだ。
 しかし一方で、共に行動した僅か数時間のうちに青年が見せたいくつもの表情や仕草、その口から発せられた言葉によって、混沌に沈む頭に、かつての記憶が取り留めもなく次々と蘇っていくのもまた事実である。
 恐らく、どこまでも破綻しどこまでも純粋なこの青年は、男にとっての何者でもないからこそ、合わせ鏡のように男の姿を映すのだろう。そして色を持たない青年は、欠落していた男の記憶を汚泥の中から掬いあげ、断片的な思い出にこびりつく濃霧を拭いとっていくのだ。べっとりと血に濡れた、細く美しいその指で。



     *     *     *



 青年の背中を見つめる男の脳裏に、突如として慟哭に値する走馬灯が次々と浮かび上がり、男は叫び出したい衝動を必死に抑えて歯を食いしばる。
 狂気の行為に手を染めた理由。ただもう一度会いたいというだけの、あまりに単純な、それなのに叶うことのなかった願い。押し寄せる敵兵たち。届かなかった手。牢の中で背を向けて泣いていた少女。痛々しい凌辱の痕。抱きしめた身体の細さ。灰にされてしまったあの肢体。穢された身体の代わりに用意してやらねばと必死に切り取り縫い合わせ繋いだ純潔の肉体。男の本性を知らず、無邪気な表情を向ける幼子たち。引き攣る笑顔と絶望の顔。あの少女の穏やかな笑い声。馬上で振り返り、優しく微笑みかけてくれた美しい顔。なのに処刑の日、少女の顔は恐怖と悲しみと苦痛に歪み、それでもあの可憐な唇は神の名をなぞり、そして、衆人をかきわけて必死に彼女のもとに歩み寄ろうとする男に彼女は
 ――ああ、なんて忌々しい。なんて愛おしい。
 ずきり、と脳に痛みを感じた。視界と思考を包む霧が酷くなる。目眩が急速に悪化する。じきに立っていることすらおぼつかなくなるだろう。青年から与えられる魔力は十分とはいいがたい。現にこうして、実体を保つことすら難しくなっているではないか。
 このままでは、大切な願いも少しずつ蘇るあの甘く苦い思い出の数々も、灰色の器からすべて零れ出てしまうような気がした。繋ぎとめなくては。あの何にも代え難い硝子細工のように儚い思い出を、この意識の内にしっかりと留めておかなくては。この深い霧を払うために、枯渇しつつある魔力を補わなくては。
 そのようなことを考えながら青年の背後にゆっくりと歩み寄る。黙々と「研究」に没頭する青年の身体は、男に比べたらはるかに細く頼りなげだった。その背中を見ながら、男は別の昔日を思い出す。
 そうだ、あのときもこうやって、後ろから――

 首を掴んで、生きながらにあの男を引き裂いて

 そうやってあの男の絶叫を聞きながらゆっくりと顔の皮を剥ぎ取りながらいたぶりながらおかしながら

 あの男を、殺し、て

 そのを、に、あの魔書

 だから、あの



     *     *     *



「うーん……んー……? やっぱなんか違うなぁ……」
 青年の声に立ち止まり、男は再び頭をおさえた。思い出せそうだった何かが、するりとまた記憶の穴に落ちていってしまったからだ。だが、構うまい。今はそれよりも、この青年から、自分に必要なだけの魔力を吸い取らねばならない。
 そっと目の前の細い背中を見つめる。青年が黙々と犯していたのはかつて少女だった物体の一部である。腹と腰、そして臀部と性器と太股の付け根だけを残したそれは、内臓が詰められた皮袋としか思えず、元が人の形をしていたという事実など、たちの悪い冗談のようであった。
「もっとこう、生きてる人間と、死体の中間くらい、って感じかと思ったんだけどなー」
 既に興味を削がれたと思しき青年は、気だるそうに動きを止めてから、「皮袋」の腰を掴んでいた血塗れの手を片方だらりと下げ、つまらなそうに呟いた。一方で、青年に凌辱されるその物体を見て啜り泣くのは、かろうじて生きている少女の残骸である。二次性徴を迎えたばかりの体から、両腕と下半身をもぎ取られ、背骨と肋骨と心臓と肺だけを残して魔術による処置を施された少女は、黒く澱んだ瞳に涙を溜めて、目の前の青年と、もとは己の半身であった肉の塊を見つめていた。肉片がこびりつく背骨を、少女自身の両腕と両足を組み合わせて作った台座に固定され、工房を飾る置物として床に鎮座させられたその姿は、血の気の引いた肌の色とも相俟って石膏の胸像のようである。
「やっぱダメだわ旦那ー、ちょっとイメージと違うんだよねー」
 そう言いながら青年は目の前にある肉の塊を手で強く押した。何かが潰れる音と共に、少女だった物体から赤い中身が少し零れ出る。一度きりの生というものがこのような脆い箱に詰まっているのかと、一度死んだ男が皮肉を感じてしまうほどに、人の身体は儚く壊れやすい。しかし一方で、魔術を施された少女の胸像は、単細胞生物のように図太いまでの生命力を宿している。引き延ばされた残酷な生は少女に長い苦痛を与えていることだろう。だが、少女の苦悶の表情が、体の痛みによるものなのか、それとも自分の身体が目の前に転がっていることへの絶望によるものなのか、あるいはその「元」半身が犯されていることへ恥辱によるものなのかは、男には分からなかった。
「んー……死体っていうよりモノって感じがするからかなぁ……」
 首を傾げながら分析する青年の声は至極真剣であり、性的な欲求や単なる悦楽のためにこうした行為に及んだわけではないことは明白である。やはりこの青年は、破綻した純粋さと澄みきった悪意という二律背反の性質を同時に内包しているのだ。
 だが男の視線は、この不可思議な青年よりも、肉塊から溢れ出て床を汚す赤色にこそ向けられていた。何の処置も施していない下半身の断面から零れる臓腑は、干からび変色し始めているものもあるが、今しがた溢れ出た部分はまだ大半が瑞々しい色を保っている。鮮烈な血の赤に惹きつけられ、男は青年の後ろでうっとりと微笑んだ。
「……ん、旦那……?」
 背後に男の気配を感じた青年が振り返るよりも先に、そのまま膝をついて青年の横から腕を伸ばし、数刻前は少女だった物体の腹に両の手をねじ込む。弾力を失った体は、抵抗なくその皮下に男の指を吸い込んでいった。もはや血すら出ないそれは、既に人の一部などではなく、ただの肉の塊であるとしか思えない。食べるための肉、捨てるための肉、餌とするための肉、腐っていくだけの肉。間違いなくこれは、人などではないのだ。
「何を……」
 不思議そうな青年の声を無視して、温度を失いつつある生ぬるい内臓をかき分け、ぬめる指先で邪魔な血管と筋膜と神経を引き裂き――両手で、少女の子宮と膣を握りこんだ。
「ぁ、ッ……!?」
 自分が今まで犯していた膣肉の外側から性器を掴まれ、青年の喉から嬌声めいた細い声が漏れる。ああ、覚えている。この声は、まだあの少女に出会っていなかった頃、城の書庫に連れ込み慰みものにした小姓が喘ぐ声と同じだ。
「ちょ、と……待って……旦那……」
 腕を掴む青年の指には、言葉とは裏腹に大した力も込められていない。あの時と同じだった。あの少年もすぐに抵抗しなくなり、男はその身体を弄んだのだった。自分がかつて祖父から受けていたのと同じ行為に手を染めるという事実には皮肉を感じたが、そうしなければ幼い頃の忌まわしい記憶を昇華することはできなかった。少年を犯すことで、男はようやく祖父から解放された気がしたのだ。
 そしてあの背徳の最中、生まれて初めて、戦のためではなく純粋な欲望のままに人を殺した。
 少年の首を圧迫して反応を楽しみながら、両目を片方ずつくり抜き、脳を指でぐちゃぐちゃに破壊して、最後は細い首の骨をぽきりと折る――
 深い恐怖と度を越した痛みによって悲鳴あげることすらできなくなった少年の脆い命を奪ったあと、男は茫然と立ち尽くし、血に塗れた両手をじっと見つめた。そして、己の胸の内に、後悔や恐怖ではなく、哀しみでもなく、心地良い感動と快感と充足感がふつふつと湧き上がってきたことに、絶望した。
「っ……あ……」
 背中を震わせ、青年が微かな喘ぎ声をあげる。与えられる快楽に身体から力が抜けたのか、前に倒れ込みそうになったその細い上半身を片手で支える。忘れてはいない。死んだ少年の身体は、何故かずっしりと重かった。命が消えたはずなのに、どうしてあのように、生きているときよりも重くなったのだろう。冷えていくその小さな身体を再び犯しながら、引きちぎって口に含んだ柔らかい頬の肉。その禁忌の味が口腔に蘇る。濃霧に包まれてもなお忘れられない、消えるはずもないあの罪深い記憶は、なくなってしまったわけではなく、やはり男の胸の内に残っていたのだ。
「はぁ、っ……ぁ……」
 手を止めることなく、少女の膣肉ごと青年の性器を愛撫する。腕の中で青年が喘ぐ。男は、襟から覗くその白い首に、歯をたてた――
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