sweep MY FOG

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 青年を吐精させたあと、ぐったりと脱力したその身体を自分の方へと引き寄せる。青年は抵抗することなく男に背を預け、それと同時に少女の半身がずるりと抜けて床に落ちた。血が撥ねる音。少女のか細い泣き声。青年の息遣い。布擦れの音。男はそれらいずれにも気を留めず、己の肩に頭を預けて浅く息をつく青年の顎を掴み、薄っすらと開けられた形の良い唇に口づける。
「っ、ん……ぅ……」
 青年の身体から、血と女と精液の匂いがする。呼吸し辛いのか、青年は苦しげに息を漏らすが、構わずに舌をねじ込ませ、喉の奥を長い舌でざらりと舐める。混ざり合う唾液と共に、僅かに頭の中の霧がはれたような気がした。
 そうだ、最初に殺したのはあの少年だった。
「ん……っ、ふ……」
 そして、最後に殺したのは愛しくも憎い、錬金術師を名乗るあの男だった。
 脳裏に蘇るかつての光景。血と臓腑の匂いが立ち込める暗澹たる城内。その中でもひときわ濃い血の香りと死の色に満ちた暗い地下室。気まずそうに目をそらして背を向けたあの男に気付かれぬよう、背後からそっと近付き、こうやってその首を――
「が……っ、ぁ……!」
 腕の中で何かがもがく。気づけば、男は青年の細い首を片手で掴み、一気に力を加えていた。指先に感じる脈動を消し潰してしまうほどに抑え込み、その苦しげな表情を堪能する。脳への血流がせき止められ、すぐに意識は途切れるだろう。そうだ、あのときも、こうやって昏倒させたあと、ゆっくりと生きながらにあの男の顔の皮を短刀と自分の手で剥ぎとっ
「旦、那……っ!」
 唐突に、首を絞めていた腕を強く掴まれ、想像していなかったその力に男は我に返った。自分の腕から力が抜け、同時に青年が激しく咳き込む音が聞こえる。手首に痛みを感じて視線を下げ確認すると、青年の爪が男の皮膚に傷を付けていた。うっすらと滲む血をぼんやりと眺め、こんな体でも血が通っているという事実に少しばかり驚き、それからたった今、自分が無意識のうちに首を絞めて殺そうとしていた青年を見る。ややうつむき、喉をさすりながら苦しそうに眉根を歪める青年が、両目をゆっくりと開いて緩慢な動きで男のほうに顔を向け――
 そして、一瞬のうちにそのまま襟を掴まれ、強く引き寄せられた。半ば体勢を崩して青年の方へと倒れかかった男の目の前に、吸い込まれてしまいそうな程に真っ黒な瞳があった。少し顔を近づければ触れてしまいそうな程の距離に、先ほどまで重ねていた唇があった。双方の唾液で濡れたその唇の合間に見えるのは、まるで血のように赤い、蛇のような舌である。
「ねぇ、旦那ぁ……殺すなら、もっと苦しんで死ねるようにしてよ」
 青年の形の良い唇から発せられる婀娜っぽい声。先ほど咳き込んだためか、黒い目はうっすらと涙で濡れている。水気を湛えて艶めかしさを増した双眸を細めて静かに笑い、青年は細い指で自分の喉をそっと撫でた。その指が、やや赤くなった一点で止まる。白い喉と赤い痕。赤い舌を出して、にやりと笑う口。男は、魅入られたように動けなくなる。
 濃い血の匂いがした。青年が両腕を男の首に回し、身を寄せてきたのだ。
「ここ押さえたらさぁ……すぐ意識飛んじゃうじゃん……。勿体ないって……」
 茫然とする男の首筋をそっとさすりながら、男の耳朶に舌を這わせながら、優しい吐息で男の耳元をくすぐりながら、青年が囁く。一体何を言っているのだろう。逃げないのか。怯えないのか。死ぬようにと、命じないのか。あのとき一瞬自我を失っていたとはいえ、男は意識の奥底で明確な殺意を持って青年を殺そうとしたのだ。それなのに、何故この青年は――
「だから殺すなら……もっとさぁ……痛くて苦しい殺し方、してくれないかな……。ねぇ……旦那ぁ……?」
 ああ、逆らえない、と思った。令呪を使われたわけではないのに、従うしかないと思った。殺せない。あのような陳腐な方法では、この青年を殺してはならない。
 もし手にかけるのであれば、至上の死を与えねばなるまい。
 もしこの手で殺さないのであれば、至高の死に導かねばなるまい。
 しばらく男の耳朶や首筋に舌を這わせていた青年が、ようやくそこから唇を離して男の顔を覗きこんできた。それは、男が今まで生きてきた中で一度も目にしたことのない表情だった。この青年は、本当に人なのか。人間のように喜び、人間の言葉を話す。歩く、笑う、切る、殺す、欠伸をする、犯す。性器を愛撫すれば喘ぎ、口づければ鼻に抜けた吐息を漏らし、舌を吸えば喉を鳴らす。どこをどう見ても青年は人でしかないのに、今その顔に在るのはおよそ人が浮かべる表情などではなかった。
 ああ、そうだ。少女の皮袋を犯す前、別の少年の肘と膝にゆっくりとナイフを刺し込んで解体していた青年の、あの妖艶な顔は、晩年の男の元にいたあの錬金術師に似ていた。似ていた気がしたのだ。だから興味を抱いたし、唆してみようと思った。
 だが一方で、この青年はあの強欲な詐欺師とは決定的に異なるのだ。何故ならあの男は首を絞めたらたら恐怖絶望をその顔に浮かべて命乞いをしたではないかしかしこの青年は首を絞めてもあのように怯えたり泣き叫んだりすることなどなく、それはまるであの少女のように――
「っ……」
 脳が痛む。何故かあの記憶だけ思い出せない。もどかしさに男は強く唇を噛む。
「旦那、血ィ出てるよ……」
 一瞬感じた血の味は柔らかい別の感触で打ち消された。青年が自らの舌で男の唇を舐め、その血を拭ったからだ。舌を出したまま微笑む青年の、唾液で濡れた赤い舌に滲む男の血。うっすらと情欲を宿した、光のない黒い眼差し。抱いてみたいと思った。穢してみたいと、薄暗い衝動に駆られた。
 男は青年の腰に手をまわしてその身体を抱きよせ、もう一度深く口づける。一度そのまま縊り殺されそうになったにも関わらず、青年はそれに応え、自ら舌を絡ませてくる。今は薄い瞼に隠されて見えなくなってしまったが、あの目は、あの底が見えない程に純粋な目は、もしかしたら、顔の皮を剥いで殺したあの男ではなく、初めて殺したあの少年ではなく――

 愛しいあの少女に、似てい

 しかしその思考は、先ほどと同じようにすぐに霧に沈み込んでいく。絡み合う粘膜を通して流れ込んでくる魔力は、心地よく男の頭を包んだが、それでもなお白い脳細胞にこびりつく深い霧は晴れない。浮び上がりかけた記憶は、容赦なく奪われていく。足りないのだ。この程度の魔力では、この霧を晴らすことはできない。
「っ、は……ぁ……」
 青年が甘ったるい吐息を漏らす。ああ、まだ、足りない――

 男は青年の体を工房の床に組み敷き、血に染まるその服に手をかけた。


(了)
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