たまゆらの

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  たまゆらの  

 躊躇い無く敵兵を撃ち殺し、屍の山を築き上げていく自分のことを「鬼女」と呼んだのは何処の誰であったか。血でぬかるんだ地面に額を擦らせ命乞いをしたあの兵士か。助からぬ傷を負い、己を苛む激痛から逃れる為に殺してくれと叫んでいた自軍の兵か。非道で残忍な、けれど、子も産めない役立たずの女を変わらずに側に置き続けてくれる自分の夫かも知れぬ。ああ、それとも。白髪をいつも返り血で濡らし、人を斬っては恍惚と微笑む、妖艶な蛇のようなあの男か。
 いずれにせよ、変わらぬ。と濃は笑う。「魔王の妻」も「蝮の娘」も、そして「鬼女」も、どれも変わらぬ。生きている者は嘲りながら、そして死にゆく者は畏怖と憎悪と憐れみを込め、そのように呼ぶのだ。銃で撃ち殺すのだから返り血など殆ど浴びぬ筈なのに、何度身体を洗っても全身が血に塗れている気がして、時折叫び出したいほどの不快感が込み上げてくる。戦場の狂気は、元は清廉で優しかった筈の彼女の心を確かに蝕んでいた。生暖かく、静かに締め付ける毒蛇のように。



     *     *     *



 久しぶりに歩く雨上がりの安土城下は賑わっていた。町人たちが店先に幾色もの提灯を吊っているのを見ると、夏祭りが近いのかも知れぬ。長く続いた戦は、自分から日常の感覚というものを奪い去っていったらしく、かつては毎年楽しみにしていた筈の夏祭りさえ忘れてしまっていた。そのことに気付き、濃は日常から少しずつ離れていく己自身に恐怖と、哀しみと、そしておぞましさすら感じた。
 雲間から差し込む太陽の光。夏。雨が降ったあとだからか、今日は真夏にしては涼しく気持ち良い。どこからか風鈴の音が聞こえる。離れていくのだろうか。離れてしまったのだろうか。日常というものから。
 それでも、侍女を数名連れて城下を歩くうちに、鬱屈としていた気持ちは幾分か和らいでいった。京雑貨を売る店で白粉と椿油を買い、馴染みの呉服屋で新しい着物を仕立て、甘味処で寛いでいると、あの血みどろの戦も、腸を引きずりながら逃げようともがく兵の悲鳴も、斬り落とされ高々と掲げられた敵将の首も、遠い異国での出来事のように思えてくる。甘味の器を脇に置き、氷でよく冷えた麦茶を飲めば、自分は今ちゃんと日常を生きているのだ感じることができる。それが、あっという間に揺らいでしまう、わずかなものであったとしても。
「濃姫さま、あちらに面白い出店がございます」
 侍女の一人が、幾分か頬を上気させながら濃の元に駆け寄ってきた。指差す先を見ると、なるほど大通りの先に一際賑わっている一画がある。ただでさえ人の多い通りだが、その場所だけ特に人が集まって押し合いヘし合いしていた。
「何でも、琉球の装身具を売っているそうですよ」
「へえ……」
 琉球とは、薩摩のずっと先、海を渡ったところにあると聞く。しかし、琉球という王国の話を聞いたことはあるが、どのような国なのか検討もつかなかった。だから興味を引かれた。わらび餅の最後の一切れを口に入れ、麦茶の残りを飲み、立ち上がる。折角だから、その琉球の出店とやらを覗いてみよう。
 しかし。歩を進めながら考える。このような、心なしか弾んだ気持ちも久々だ。城下を楽しむことに喜びを感じている自分を嬉しく思った。ああ、普通の女だ。出かければ心弾む。甘味を口にすれば顔が綻ぶ。そうだ。自分はちゃんと自分で、女で、人間で、まともではないか。その事実を実感することが出来て嬉しかった。
 その喜びの裏に、戦場の狂気に飲まれて変わり果てていく自分への恐怖が、しっかりと根を張っていることには、気付かぬふりをする。



     *     *     *



 初めて見る琉球の装身具はどれも美しく輝き、女たちの目を惹き付けた。美しく繊細な細工の簪や帯止めは、高価ではあるがその物珍しさからよく売れているようだった。鮮やかな紅色の硝子玉が輝く簪をひとつ手に取り、太陽に翳す。日の光を飲み込んで一層と輝く硝子玉に魅せられ、特に気に入った2本を買うことにした。
「これは何?」
 店主から釣りを受け取るときにふと横を見れば、台の隅に小さな包みがいくつも積まれていた。包み紙は簡素なものであったが、はひとつひとつが丁寧に紐で結わえられている。袋を手にとって尋ねると、さとうきびの飴だ、と店主は訛りの強い言葉で答え、袋を開けて一つ取り出し渡してくれた。受け取ったそれは自分の好きな薄荷味の京飴のように美しい色ではなかったが、口に含めば、大層甘く柔らかい味であった。
「あら、美味しいじゃない」
 甘いものが好きな蘭丸くんが喜ぶだろう。その思い、買うことにした。一つを手に取り、店主に買う旨を伝えると彼は嬉しそうに笑った。そして帰り際、沢山買ってくれた御礼だと、組み紐をこっそり渡してくれた。髪の長い人にあげると良い、結わえるのに便利だから。そう言って彼はまた、にこりと笑って店を後にする濃を見送った。



     *     *     *



 琉球から来たその男の笑顔は、太陽の光だけを浴びて作られたかように一遍の曇りも無かった。その笑顔を見て、人が陰と陽に分けられるなら、この男は間違いなく陽に属する人間だ、と濃は思った。琉球の人間は皆、そうなのだろうか。昔から、仇っぽい笑い方をする娘だの、陰のある女子だの、幸福にはなれない顔の童だのと呼ばれてきた自分には、陰無くにこやかに笑う人間が羨ましく、また少し怖くもあるのだ。
 そこまで考えてふと、人に忌まれながらも男を惹きつけていた己の笑い顔を、ただ素直に「愛らしい」と褒めてくれた少年を思い出す。この頬を撫でながら、「美しい」と言ってくれた彼のことを思い出す。よく遊んでいた、ひとつ年下の従弟。少しまともでは無い所もあるにはあったが、少なくとも自分のことを好いていてくれた。優しい子、だった。数年後には変わり果ててしまった、あの少年。桃丸。もう何処にも居ない小さな従弟の幻影を振り払い、手に持っていた組み紐に視線を落とす。
 藤と濃紫の硝子玉があしらわれている組み紐。貰ったとき、哀しい色だ、と思った。琉球の男は、誰かにあげると良いと言った。結わえる程に髪の長い男など、自分の周りには一人しか居らぬ。そう、斯様に寂しい藤の色と、斯様に禍々しい濃紫が似合う者など、あの男しか居ないでは無いか。蒸し暑い日に、邪魔そうに長い髪を払っていた男。蛇に良く似た白髪の男。
「光秀にでも、あげようかしらね……」
 ぽつり、と呟いて、組み紐を日に翳す。藤の寂しさ。濃紫の禍々しさ。儚いのに気味の悪い、おぞましいのに放っておけない、二律背反の色。きっと戦場でしか生きられない色。

 それはやはり――あの男に似ていた。



(了)
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